Sun
14
Oct
2018
春先に読了した松原隆彦先生の「宇宙に外側はあるか」から興味が尽きない先生の宇宙論ですが、引き続きこちらの「宇宙はどうして始まったのか」も更に深化!?した宇宙論の本です。「宇宙に外側はあるか」より後の2015年に発行された書籍のようですが、内容は最新の宇宙論も織り交ぜており、主に宇宙の始まりのビッグバン理論から素粒子論、そしてもはや哲学の領域とも言える人間原理などについて、順を追って分かりやすく解説されています。そんな中でも特に興奮を覚えるのが、終盤の素粒子論からそもそも現実世界が理論的に!実在しているのか、などという曖昧かつ根源的な疑問に対して、あくまで物理と科学の視点で解説しているところです。それでも、宇宙論の究極でもある「宇宙の始まり」の疑問は、そもそも解決されるのかという遠大なテーマはなかなか方向性すら見えない感があります。そのように結局は疑問は疑問で終わってしまう宇宙論の書籍がほとんどの中で、本書で一番の驚愕しかつ核心に触れているのではと感慨深く読んだ箇所が、最後の方に松原氏が例えとして持ち出した「十分に賢いプランクトン世界」の架空の例え話のでしょうか。
詳細は本書を読んでいただくとして、視点を変えると大海に住むプランクトンから見れば、地球の外側に広がる宇宙そのものが存在の限界として理解を超えるという例え話として描かれています。この例え話を読んだ後では、気が遠くなる、恐らくは人間が人間の存在である限り到底理解不能な宇宙全体の姿、ましては宇宙の始まりについて、理解に辿り着かないのではという点に納得せざるを得ない感覚に陥ります。そして、もう一つは量子論の不確定性原理から導かれる宇宙の姿、すなわち「宇宙の姿そのものが観測されることで定まる」という何とも衝撃的な学説も何とも今の現実を危うく感じさせる理論ではあります。確かに観測する存在(現時点では人間のみ!?)が存在しない宇宙に、確たる歴史や事実が意味をなすのかという気が変になりそうな事実を突きつけられている感があります。それでも、宇宙を観測できない恐竜や生き物、動物が存在しているまたは存在していたのは確固たる事実と言えるのは、やはり人間が存在して観測(観察)しているから言えるだけの幻なのでしょうか。
と言った感じで、最近(最新)の宇宙論は深めれば深めるほど、物理や科学からかけ離れていくような理論や学説ばかりの感があります。それでも、究極の謎である宇宙とその始まりが、結局は人間原理のような人間の存在や実在に絡むというのは、宗教的でもあり何とも不思議というか皮肉な感じもある中で、本当に興味が尽きない分野ではあります。何とも厭世的な感じにはなりますが、おそらくは自分が生きている限りの時間ではこの謎はまず解けないだろうという中で、こんな分野を日々研究して、このような書籍で一般人にも分かりやすく解説してくれる著者や宇宙論の研究者には頭が下がるばかりです。
個人の時間軸では不可能でも、これらの積み重ねで遠い将来に人間がこの謎に肉薄できれば凄いことだと感じつつ、この書籍の感想にしたいと思います。是非、新しい事実が分かったら同じテーマで書籍を発行していただけると嬉しい限りです。
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