Mon

16

Apr

2012

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス

この本も最近読んだ「宇宙から恐怖がやってくる!」と同様の崇高な最新科学に基づいた味わいの深い考察本で、同様にタイトルで相当誤解というか損をしている本であると思います。20世紀を代表するフェルミが出した世紀のパラドックスである「彼ら(ETC、知的生命体、宇宙人)はどこにいるんだ?」という問いに対して、50に絞った代表的な解答を順次挙げてその問いに迫っていきます。その50に絞った解の内容が、この上なく幅広くて面白いのです!SF小説にありがちな推測から、現代物理学、天文学、生物学を始めとして著者の軽快な語り口はともすれば難解な題材を、非常に興味深くそして分かり易く解説していきます。先の「宇宙から?」でも触れられていたガンマ線バーストなどの最新宇宙物理から、無機質と生命体の境目となる事象の解説まで、実に多岐にわたる分野を網羅している科学本です。正直、著者の語り口の妙技もあるのでしょうが、50のみならず100でも1000でも解答を読みたいと思わせる内容で、一つの問いかけに対してこれだけの分野を網羅する解答が生まれるというのは、この本の醍醐味であると同時に、人類そして人間の存在の意味に迫る謎かけであったのだと読んでいるうちに気付かされます。  


そして圧巻というか衝撃の最後の50番目の解で、著者の意見ではあるものの、フェルミのパラドックスに対する結論が語られます。正直、読み進めているうちに最後の結論になって欲しくないと願いながら読んでいる自分に気付きました。最近では読み終えてしまうことがこれだけ名残惜しいと感じた本は久しぶりです。できれば50番目に辿り着かずに、もっとこのサイエンス・エンターテイメントと呼ぶに相応しい本書を少しでも長く楽しんでいたいと感じずにはいられませんでした。50番目の解であると同時に著者が導いた結論でもあるクライマックスは、本当に衝撃的です。(ここで、まだ未読の方は是非、本書を読んでからにすることを強く勧めます。この本ほと先に結論を知ってしまうのは勿体なくもあり、悲しくもあります。色んな意味で。。。) 

50番目に至るまでに既に解説された内容から、「彼ら(ETC)」がいるのかいないのかの択一の解は既に得られていることが、最後に分かります。フェルミが問いかけた、またドレイクの方程式から導かれ期待できるはずの「彼ら(ETC)」の存在は、「フェルミのふるい」なる理論からは存在しない、すなわちこの広大な時空と気の遠くなるような永劫の時間を有する(はずの?)宇宙には我々人類のみが存在するという結論がフェルミパラドックスの解として導き出されます。正直、本書を読むまでは自分自身がETC肯定派であり、今までのSF小説も交えたつたない知識からも、この広大な時空を有する宇宙に我々人類しか存在しないことは有り得ないと考えていた自分がいました。しかし、その根拠は多分に広大な宇宙が存在するという事実だけに依っており、また逆説的にこの広大な宇宙に人類だけが存在するという事実を直視したくなかっただけなのかも知れません。天文学的な数値になるはずの宇宙の惑星の数(今までだけなくこれからの時間も含めての数)が、本書で語られるたった50の解のふるいの過程であっけなく、1(すなわち地球だけ)になってしまう事実には驚愕するとともに、底知れぬ孤独感を感じざるを得ません。
私が愛して止まないSF小説も含めて、今までに人類だけが宇宙の唯一の知的存在という事実は無かったと記憶しています。暗黙のうちに、この広大な時空である宇宙を人類以外の何かと共有しているはずだという期待は、実は何ら根拠があるものではなく、逆に今分かっている事実から導き出される結論は、我々人類のみがこの宇宙を唯一意識できる存在だということが説得力を持って突きつけられます。その意味では本書ほど、衝撃的で悲しい結論はないとも言えますが、この結論を別にすればこれほど楽しくまた自分が賢くなれたと感じる本は久々です。本書では軽くしか触れていませんが、人類の脳が進化の過程で複合的に物を考える過程で「意識」が生じたのではという推論は、それだけでも一冊の書籍になりそうなテーマを含んでいます。
ともあれ、本書は純粋に極上のサイエンスものとして楽しむことが出来るとともに、一通りの知識をおさらいした後に突きつけられるこの上なく重い事実、「この宇宙で人類だけが唯一の知的存在」という内容は、傲慢であるとかいう次元を超えて、自分を含めた人間という存在の意味と意義について一つの解を与えるものではないかと思わざるを得ません。最後に本書からのラストを引用します。「「自己意識を持った唯一の動物、愛とユーモアと思いやりの行為で宇宙を明るくできる唯一の種が、ばかげたふるまいで自ら消えようとしているのかもしれない。われわれが生き残るなら、探検して自らのものにできる銀河がある。自滅したら、故郷の惑星を飛び立てるようになる前に地球をだめにしたら。。。別の種の生物がその惑星から夜空を見上げ、「みんなどこにいるのか」と思うようになるまでには、長い長い時間がかかることだろう。」」
この最後の「長い長い時間」の意味は、ひょっとしたら未来永劫、人類のような存在はこの宇宙に存在し得ないという含みがあるように思えてなりません。想像の世界ではさておき、現実にはいまだに地球から一歩も生活圏を広げられない我々は、信じられないような奇跡のチャンスの存在を自ら認識することなく消えてしまうリスクの時代を生きているのでしょう。そう遠くない将来に、地球が宇宙という時空の中の一つの故郷となり、知的存在がこの宇宙を探検している時代が来ることを願って止みません。そして今の時代をなんて危険で不安定な時期があったのかと振り返る存在になることを祈りたいですね。
と、久々に長い書評になりましたが、本書の事実の前では私の好きなジーリーもタイムマシンも存在しえないのが現実のようです。それでも、本書にもある130億年を1年とした宇宙カレンダーでは、人類は1時間も生きていません。この先に膨大な時間とチャンスが約束されていると信じて、眠りに着きたいと思います!

この記事をシェアする

ディスカッション

コメントはまだありません

コメントはお気軽にどうぞ

※メールアドレスは公開されませんのでご安心ください。


This site is protected by reCAPTCHA and the GooglePrivacy Policy and Terms of Service apply.

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

”ところによりエンジニア”